和紙について

「ユネスコ無形文化遺産」に登録された和紙

和紙は、日本の手すき和紙技術として「ユネスコ無形文化遺産」に登録されています。
登録されている3つの和紙は、原料に国産の「楮(こうぞ)」のみが使用されており、日本固有の伝統的な「流し漉き」(紙料液を漉き簀(す)に入れ全体を揺り動かす技法)の技法を用いて作られています。

「ユネスコ無形文化遺産」に登録されている3つの和紙

手すき和紙の特徴

製造工程が、日本古来の手作り
機械による大量生産ではなく、作る人、産地によって少しずつ製造工程に違いがあり、手作りならではの個性があります。
耐久性が強い
原料の繊維の長さが長いため、耐久性の強い紙になります。
保存性が高い
原料が天然繊維であり、紙を弱くする薬品を使用しないため、傷みが少なく、保存性が高い紙になります。

デメリットとしては、洋紙の約3倍もの原材料が必要なため原材料費が高く、大量生産ではなく、1枚1枚が手作りであるため、人件費がかかり、価格が高いことです。


紙料になる楮の皮を剥いで干してるところです。


楮からできた紙料と、「ネリ」と言われる粘液を水の中で均一になるように調合します。

和紙の歴史

紀元前に中国で発明
日本へ紙の作り方が伝わったのは、610年と『日本書紀』に記載されています。日本に残る最古の紙は(702年)奈良の正倉院に保管されており、紙の使用目的は戸籍作成などの公文書と、写経でした。
平安時代
貴族の間で和歌や漢文・書・絵巻が盛んになり、趣のある紙が求められました。
紫式部や清少納言など女流作家たちが誕生し、宮廷の雅な様子が美しい仮名文字で綴られました。
『枕草子』『源氏物語』『源氏物語絵巻』『信貴山縁起絵巻(しんぎさんえんぎえまき)、『西本願寺三十六人家集』でも和紙が使われていました。
鎌倉時代
鎌倉時代に入ると、貴族に変わり武士が権力をもつようになり、特に経文などの木版画印刷が盛んに生み出され、武士の間では紙は実用的に使用されました。
室町時代
銀閣寺に代表される建築様式に、書院造りが誕生します。建具として襖(ふすま)、障子(しょうじ)の他、屏風(びょうぶ)や衝立(ついたて)などに紙は使用されました。山水画や仏教画なども盛んになり、掛け軸、屏風絵、巻物などの水墨画作品が残されています。
安土桃山時代
南蛮屏風(なんばんびょうぶ)など、豪壮・華麗な文化が花開きました。その一方で、簡素で静かな「わび」を大事にした茶の湯の文化も生まれます。画や絵巻物は、社会構造や生活様式の変化にともない、多彩な発展を遂げていき、こうした美術の隆盛は、製紙技術の向上にも大きな影響を与えました。
海外との貿易も本格的に実施され、朱印状をもつ朱印船によって、日本の紙は海外に渡っていきました。
江戸時代
各藩で製紙を奨励するようになり、専売制とする藩も現れました。そして、紙の生産が盛んになるにつれ、紙は庶民の暮らしに浸透し、江戸文化が花開いていきました。
政治が安定し、町人文化が栄えた江戸時代は、生活の隅々にまで、紙が普及しました。子供たちは寺子屋で手習いをし、人形・千代紙・風船・凧・カルタなどの玩具にも紙は使われました。
江戸文化の興隆は、多くの書物を生み、浮世絵版画は、紙の加工技術を発展させました。江戸時代、紙は人々の生活を豊かにし、いろいろな場所で活躍していきます。雨にも強く、傘や雨合羽に使われる他、寺や神社の護符(ごふ)や四季折々の行事など、家の外でも、需要は益々高まります。強さと美しさを兼ね備えた紙は、絵にある七夕飾りの他、面・団扇(うちわ)・提灯(ちょうちん)などと、用途を広げていきました。
明治時代
明治に入り洋紙工場が設立されますが、初めは役に立たず教科書の用紙も和紙を使いました。紙すきの数は徐々に増加し明治34年に6万8562戸と頂点を迎えますが、この頃から洋紙の生産が軌道に乗り始め、次第に紙すきは減少していきます。この時代の和紙は障子紙や傘紙など庶民の日常生活に用いられるものと、タイプライター用紙や謄写版用紙など工業的な用途に工夫され盛んに輸出されたものと大きく2つに分けられます。
現在
和紙は実用品としての地位は洋紙に奪われ、伝統工芸品として生産されるのがほとんどになっています。優美な和紙は美術の分野などではもちろん、耐久性、強靭性を活かし文化財の修復に使用されるほか、地球環境に優しい製品として、日本のみならず世界中から注目を集めています。

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